ご無沙汰しております。2ヶ月ぶりの更新となり、すみません。実はお盆にバンコクに行ったのですが、その300枚に渡る写真のフォトアルバムの編集と旅行記がなかなか進まず、これだけのブランクが空いてしまいました・・・。今でも暇ヒマに続けています
ので、出来上がったら是非見てみてください。
さて、今回は環境問題に関して最近感じていることを主観ではありますが書いてみようと思います。ご意見や感想、反論などありましたら、コメント欄に書いていただければ嬉しいです。
昨今では、口癖のように「環境」「環境」という言葉が聞こえてきます。
まるで、その言葉が呪文のように、それさえ唱えればいいという感覚に陥ってしまいそうな程です。
食事の前には当たり前のように、「いただきます」と言いますが、その意味を実感しながら言っているのかといった言葉のひとつにもなっているような気がします。
環境問題やエコ活動がもてはやされるようになって、本来の目的や意味を見失っている人も多くいるのではないでしょうか。
最近では、そういう矛盾点を指摘した本や意見を多く見聞きするようになりました。
果たして地球環境に最も良い行為は何なのか。環境に良いと言われていることが実際は効果がないどころか、マイナスになっているものも多くあるようです。
その辺は賛否両論で、それぞれに一長一短あるように思えます。
このブログ上でも一時期は環境に関することを多く書いてきましたが、ここに来て改めて思ったのは「本質を忘れてはいけない」ということ。
以前、シンギの全社員で「わたしのチャレンジ宣言」をやりましたが、一番重要なのは、チェックした項目の合計数値やそれらの項目を義務のように実行すれば良いというのではなく、私たちが日々行っている活動がどれだけ環境に対して負担になっているのか、どれだけの犠牲が私たちの生活を豊かにしてくれているのかを実感して、考えるきっかけとなることが大事なのだと思います。
義務化してしまうと、考えて行動しなくなり、その行為に至った本質を見失ってしまい、気づかないうちに間違った方向に進んでいる可能性があるからです。
少し前では、「3R」という言葉をよく聞きました。リデュース(削減)、リユース(再利用)、リサイクル(再生)のそれぞれの頭文字です。しかし、最近では「2R」になりつつあるようです。
リサイクルがはずされたのです。なぜなら、リサイクルは最終手段であり、その行為自体はできれば少ないほうがいいから。
リサイクルという言葉は私たちの切り札のようにして使われてきました。
「リサイクルするから、多めに使ってもいい。」
「今の使用量が少々無駄でもリサイクルするから平気。」
というように、私たちの日常に於ける物質的贅沢を味わう消費生活に伴う罪悪感を誤魔化す言葉として「リサイクル」という言葉が悪用されてきたと考えても過言ではありません。
発想を逆転して、「これを一度使ったら、もう再生できない(リサイクルは存在しない)」と聞けば、最初から無駄には使いませんから・・・
人生も一緒で、「一度きり」と「何度でも生き返る」とでは一生の重みも違いますよね。
このリサイクルの代わりに、もうひとつの「R・・・リスペクト(尊敬・尊重)」という言葉も表れてきました。これは、素敵ですね。
私の主観的な意見で言えば、このリスペクトひとつでも十分だし、ひとつだけにした方がいいような気がします。
なぜなら、リデュースもリユースも、先に述べた「義務」的な要素があるのに対して、リスペクトは「思考・本質」の要素を持っているから。
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